レッドブル・エアレース 15年の進化

究極の三次元モータースポーツは15年でどのような成長と発展を遂げてきたのか?

Peter Besenyei at the first race

9月15日・16日、Red Bull Air Raceが生まれ故郷に舞い戻る。通算88回目のレース開催地に選ばれたオーストリアのウィーナー・ノイシュタットは、2003年8月28日にパイロット6名が初レースに挑んだツェルトベク飛行場から145kmしか離れていない。

ハイテクな三次元モータースポーツとして知られるRed Bull Air Raceは、15年前から大きな変化を遂げた。現レースディレクターのスティーブ・ジョーンズは、記念すべき初レースに出場したパイロットのひとりで、彼のコメントと共に、Red Bull Air Raceの成長と発展の軌跡を振り返ってみよう。

 

パイロン

第1世代のパイロンは、ピーター・ベゼネイによる意図的なパイロンヒットを含む70回超のテストを経て生み出された。高さ20mの当時のパイロンは「少しの風でも動いてしまう、長くて薄い不安定な物体だった」とジョーンズは振り返る。現在使用されている高さ25mのパイロンは、より高い安定性を実現する円すい形で、普通紙より40%も軽いスピネーカー素材で作られている。

 

レース機体

初レースに参加したパイロットたちは個人所有の機体でフライトしたが、その中には、スピードよりエアロバティックスに向いている機体も含まれていた。「当時はSukhoi(ロシアの航空機メーカー)が3機、あとはEdge 540とExtra(ドイツの競技用小型機メーカー)だった」とジョーンズは語り、「レースが成熟していくと、優勝にはEdge 540か、のちに登場するMXS-Rが必要だという認識が広まっていった」と続ける。現在Red Bull Air Raceを戦うレース機体は、レースのために製造・改良されているイノベーションの結晶だ。

 

パイロット

初レースに参加したパイロットたちはフィットしているかどうかで選ばれていた。しかし、このスポーツの発展と共に、パイロットたちは "高い集中力を備えたレーサー" に成長していったとジョーンズは指摘する。現在のRed Bull Air Raceパイロットたちは1年を通して厳しいトレーニングを積んでおり、レーストラック分析ソフトやシミュレーターの開発、レース機体のイノベーティブな改良などを担当する専門性の高いチームを抱えている。

 

ジャッジ

2003年当時、レースのジャッジは目視だけで判断していた。現在も最終的な判断を下すのはジャッジだが、彼らは1秒で100回読み込むレーザーや10,000フレーム/秒のカメラなど、最先端の計時 / ジャッジシステムから情報やデータを得ている。また、各レース機体にも40個以上のセンサーが搭載されている。

 

レーストラック

初期のレーストラックは今ほど洗練されたものではなく、チームや運営側、パイロットが手を取り合いながらこの新しいスポーツを形作り、成長させていった。「昔はエアロバティックスのマニューバを行わなければならないレースがあった。タッチ&ゴー(機体を止めずに着陸・離陸するマニューバ)を行うこともあった」とジョーンズは回想する。現在のレーストラックのデザインは専門チームが1年がかりで進めており、各開催地にチャレンジングなエアゲート配置、観客の視野の確保、航空法の遵守、最高レベルの安全基準のクリアを同時に実現するレイアウトを用意している。

 

ルール

競技の公正性、そして何よりも安全性を確実なものにするため、現在のRed Bull Air Raceには広範囲をカバーするルールとレギュレーションが定められている。しかし、初期Red Bull Air Raceには共通化されたエンジンどころか、スタート時のスピード制限やオーバーGなどに関するルールも存在しなかった。「低くフライトしすぎてはいけないという高度規制はあったが、パイロットの操縦をモニタリングするシステムがなかったので、疑わしいフライトを証明できなかった」とジョーンズは説明する。

 

今日のRed Bull Air Raceは、専門チーム・最高水準のレース機体・高精度モニタリング機材などを備えており、技術的に最も進化したモータースポーツのひとつに数えられている。パイロンも、このスポーツ専用に開発された素材が用いられている。しかし、今日のような発展も、15年前にツェルトベクの空を駆けたパイロット6名の勇気と先見性がなければありえなかった。ジョーンズは「あの日はとても楽しかった」と記念すべき第一歩を振り返っている。

 

◼︎Information

第6戦 ウィーナー・ノイシュタットは9月15日・16日に開催。