【ラストレポート】 航空スポーツを世界中に広めたレッドブル・エアレース

数多のファンを産み、航空スポーツの興奮と感動を世界に届けた究極の三次元モータースポーツの歴史を振り返る

今から約100年も前に、ヨーロッパですでに開かれていたという飛行機レース。だが、当時それを見ていた人のなかに、将来、世界中の都市を転戦し、世界チャンピオンの座を争うシリーズ戦が開かれることになると想像できた人が、どれだけいただろうか。

 

レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップ。その誕生は、16年前の2003年(2003、2004年はレッドブル・エアレース・ワールドシリーズとして開催)にさかのぼる。

 

2000年から競技方法やルールの考案はもちろん、今では当たり前に目にしているパイロンの開発が始められ、2003年、ツェルトベク(オーストリア)とブダペスト(ハンガリー)で初めてのレースが行われた。当時、そこに大きく関わっていたのが、“レッドブル・エアレースのゴッドファーザー”と称されるピーター・ベゼネイ。自動車を使った陸上でのテストをクリアしたパイロンに、初めて実機で飛んでぶつかり、その安全性を試したのがベゼネイだったのだ。

ピーター・ベネゼイ

飛行機レースをテーマにしたアニメ映画「プレーンズ」のなかで、主人公が大きな大会に出場するために、その予選に参加するというシーンがあるが、その予選風景がまさにレッドブル・エアレースそのもの。2本のパイロンによって構成されたゲートを飛行機が通過していく様子は、それが飛行機レースであることを最も分かりやすく伝えるものとして認識されている証拠だろう。

 

ただし、2003年当時のパイロンは、今とはずいぶん形が違っていた。現在は円錐形(厳密には円錐ではなく、ゲート内側は垂直になっている)で定着しているが、当時は円柱形で、今よりもずっと細かった。

 

パイロンを使った飛行機レースが画期的だったのは、ひとつには小型機の機動性が、見ている観客に非常に分かりやすく伝わること。そして、安全かつコンパクトにレースが行えるようになったことで、見渡す限り何もない郊外の会場などでなくとも、都市部での開催が可能になったことだろう。

 

象徴的なのが、ニューヨーク(アメリカ)で開かれた2010年第5戦である。

2010シーズン 第5戦ニューヨーク/ハンネス・アルヒのフライト

マンハッタンの南端、バッテリーパークに面した会場で行われたレースでは、飛行機が自由の女神の前を通過してトラックイン。その後、摩天楼を背景に高速旋回を繰り返した。

 

また、多くのレースを取材するなかで、個人的に印象に残っている会場は、ポルト(ポルトガル)とブダペストだ。いずれも、世界遺産に認定されている旧市街のど真ん中でレースが開催されていたことで共通する。

 

なかでも、ポルトで開かれた2017年第6戦は印象深い。

 

レーストラックが設置されたドロウ川の両岸には、ちょっとしたスペースでも空いている場所にはとにかく観客が詰めかけ、わずか100mほどの距離を移動するのも大変なほどの賑わいだった。それでも、そもそも会場が旧市街の中心部のため、レース終了後、観客は三々五々散らばっていく。帰路に就くのを待たされるようなこともなく、途中、カフェやレストランに寄るのも容易い。ストレスなく楽しめるスポーツエンターテインメントとして、実にうまくできていると感心させられたものだ。

2017シーズン 第6戦ポルト

とはいえ、言うまでもなく、競技自体に魅力がなければ、いかに都市部でレースが開催されようと、多くの人に見てもらうのは難しい。そのために、レッドブル・エアレースは長い歴史のなかで、競技自体の姿を徐々に変えてきた。

 

変更の主な理由を挙げるなら、安全性とスピード感の向上だろう。

 

まずは安全性の向上だが、これについては、レッドブル・エアレースの休止期間(2011~13年)の前後を比較すると分かりやすい。

 

休止前のレッドブル・エアレースには、現在と違い、2種類のゲートがあり、レベル・ゲートは水平に、ナイフエッジ・ゲートは垂直に傾けて通過しなければならなかった。さらには、もうひとつ特別に、クアドロと呼ばれる4本のパイロンによって構成されたゲートがあり、一方向から進入して通過した後、大きく270度ターンし、最初の進入方向とは90度ずれた方向から進入して通過するという“超難関”が用意されていた。

クアドロをフライトするマイク・マンゴールド(2009シーズン 第2戦サンディエゴ)

しかし、再開後は、270度ターンの際にパイロットにかかるGの負担が極めて大きいクアドロはなくなり、さらにパイロン自体にも改良が加えられ、安全性が大きく向上した。

 

また、レーストラックの設定においては、再開後は全体的にゲートの数が減り、距離が短くなったこと。現在はタイムにして1分を切るものがほとんどだが、休止前は1分を超えるのが当たり前で、場合によっては1分30秒前後もかかるレーストラックもあったほどだ。

 

1フライトあたりの時間が短くなることで、レースはテンポよく進行。距離が短くなり、ゲートもレベル・ゲートとシケインだけになったことで、レース全体の傾向がテクニック重視からスピード重視へ移ったとも言えるだろう。こうして、いろんな意味でのスピード感の向上が図られたのである。

 

ただ、率直に言わせてもらえば、休止後はやや簡素化され過ぎた感があり、競技の醍醐味が少なからず奪われた印象は否めない。レースごとのトラックの特徴差も小さくなり、どこのトラックも似たり寄ったりになってしまった。

2016シーズン 第4戦ブダペストのレーストラック/マティアス・ドルダラーのフライト

異なる技術が要求されるゲートを次々に通過しなければならないレースは見ごたえがあったし、クアドロなどは、レーストラックを俯瞰したとき、見た目にもカッコよかった。それに比べると、現在のレーストラックはかなりシンプルになってしまった。もっとエアロバティックス的な技術が要求されるものがあってもよかったのかもしれない。

 

とはいえ、スピーディになったレースは、いい意味で単純化され、見た目に分かりやすくなった。それによって、広くファンを獲得できた側面があることは否定できず、安全性の向上という要素も含めて考えれば、必要な改革だったということだろう。

 

もちろん、長い歴史においては、うれしいことばかりではなかった。

 

2016年9月8日、ハンネス・アルヒがプライベートで移動中に、ヘルコプター事故に遭って亡くなった。レース中の事故ではないとはいえ、シーズン途中に現役パイロットが亡くなるという、あまりに悲しい出来事だった。そのわずか数週間前、ラウジッツ(ドイツ)でのレースに参加している姿を直に目にしていただけに、にわかに信じがたい報せだったことを、今でも思い出す。レッドブル・エアレースのラストレースが、アルヒの命日に行われたことは奇縁だった。

ハンネス・アルヒ(2016シーズン第6戦ラウジッツ)

さて、今年で5年連続の開催となり、今では世界で最も熱狂的なレースとして知られる千葉戦だが、日本でレッドブル・エアレースの認知度が飛躍的に高まったのは、言うまでもなく、室屋義秀の参戦が最大の理由だ。

 

2009年のデビュー当初、室屋は予選通過が最大の目標で(当時は予選の成績下位は、本選に進めなかった)、優勝など夢のまた夢。世界中から集まったエリートパイロットには、歯が立たない状態だった。しかし、休止期間を挟み、再開2年目の2015年あたりからは自身の技術や経験の向上もさることながら、機体やチーム体制も充実。優勝を争える有力パイロットのひとりと目されるようになった。

2016シーズン 第3戦千葉でキャリア初の勝利を手にした室屋義秀

時を同じくして、レッドブル・エアレースは2015年に日本初開催。翌2016年の千葉戦で悲願の初優勝を果たした室屋が、2017年にはついに世界チャンピオンとなったことで、レッドブル・エアレースの存在は、室屋の名前とともに広く一般に知られるようになっていった。

 

欧米諸国に比べ、航空後進国である日本においては、航空文化の一般への浸透という点でもレッドブル・エアレースの功績は大きかった。室屋も以前、「レッドブル・エアレースが、エクストリームスポーツではなく、モータースポーツとして認知されるようになったのを感じる」と話していたことがあるが、どちらかと言えば、飛行機好きのマニア向けだったレッドブル・エアレースは、スポーツファンにとっても“刺さる競技”へと変化していった。

 

今では、室屋のもとには「どうすれば、エアレースのパイロットになれますか」と、相談に訪れる子供も少なくないという。かつては、子供たちの憧れの職業にパイロットとあれば、間違いなく旅客機のパイロットを指していた。だが、今はもう、一口にパイロットと言っても、それが意味するものはずっと幅広くなっているようだ。

2017シーズン 全8戦で4勝を挙げ遂にワールドチャンピオンに

室屋は福島を活動拠点にして、すでに航空文化を支える人材の育成に取り組んでいるが、それもレッドブル・エアレースという教材があったからこそ可能になったことだろう。レッドブル・エアレースは、空を飛ぶという行為をより身近に、より具体的に感じさせてくれるものだったのだ。

 

室屋に憧れ、エアレース・パイロットになりたいと願う子供たちの夢は、これからどうなってしまうのだろうか。レッドブル・エアレースがこれほどの注目を集めるようになった今、それが終了してしまうことに、老婆心ながら、そんなことまで心配してしまう。

 

9月8日、千葉で行われたレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップのラストレースでは、過去3度の年間2位があるマット・ホールが初めて世界チャンピオンの称号を手にした。いわば、最強の挑戦者が一昨年の室屋、昨年のマルティン・ソンカという歴代王者を退け、初タイトルを獲得するという展開は実に劇的だった。

ラストレースで表彰台に立った(左から)カービー・チャンブリス、室屋義秀、マット・ホール

加えて、カービー・チャンブリス――レッドブル・エアレースが世界選手権となった次の年、2006年の世界チャンピオンにして、現役最年長パイロットである59歳が、ラストレースで2位の表彰台に立つという結末は、長い歴史のフィナーレを飾るにふさわしいものだった。

 

2015年、初めて日本で開催されたレースの後、室屋は「20年前はほとんど誰も航空スポーツのことを知らず、(自分が活動するのも)大変でしたが、今回のべ12万人もの観客に見てもらい、多くの人に知ってもらえた」と、自身を取り巻く環境の変化を喜んでいた。

 

あれから4年。室屋が「その影響は甚大なものだった。(航空スポーツに)まったく縁のない人にも知ってもらう機会を与えてくれた」と、謝意を表したレッドブル・エアレースは、多くのファンに惜しまれつつ、2019シーズンをもって歴史に幕を下ろした。

 

 

(Report by 浅田真樹)

 

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